2011年12月17日土曜日

歳月の概念と人間の意識について

生徒の皆さん、おはようございます。早いもので、明日からもう師走。歳月は人を待たずという言葉がありますように、時は人間の意識に関係なく確実に流れてゆくようです。6年生の皆さんは、『ああもう12月、時間がない。』と言って焦りを感じる今日この頃でしょうか。

この歳月とは、時間とは、どのように概念づけられているのでしょうか。一日は地球の自転、すなわち日の出から日の入り12時間、日の入りから日の出までの12時間、計24時間を24分割した長さを1時間とし、一時間を60分、1分を60分割して1秒という単位を設定しています。そして、太陽が天球を一巡する周期365・24日を1年とし、私たちはこの1年の中で様々な節目の日を設け、更にユダヤ教の安息日を日曜日にして生活をしているわけです。時間だけでなく、距離の問題についてみますと、その基準を地球の子午線におき、1メートルを子午線の4千万分の1として設定されています。

ところで、この時期になりますといつも、「早いものでもう師走」、あるいは「年の瀬が迫りましたね」というのが挨拶になりますが、皆さんの中には、歳月の流れが大変緩やかに、もしくは遅く感じる人がいるかもしれません。確かに、先生方でも、30代の先生にとって1年は緩やかで、乗り物に例えると、乗り合いのバスの速さくらいかもしれませんが、40代になるとそのスピードが増し、機関車に、50代は新幹線、60代は飛行機で、70代はまだ体験していないのでわかりませんがきっと、ジェット機並みになる速さで時が過ぎてゆくのだと想像するのです。すなわち、時間は年齢によって、人によって、環境によって、様々な側面で感じ方に違いがあるようです。初めに述べましたように、時間という概念は普遍的なものであり、いついかなる時でも、人間の意識に関係なく流れてゆくものなのですが、なぜその時間を人間は早く感じたり、緩やかに感じたりするのでしょうか。それは私たち人間の感覚の作用に原因があるわけですが、このような日常の身近な問題について生徒のみなさんが興味を抱き、疑問を抱いて学習していただきたいと思っているのです。

中学生であろうが、高校生であろうが関係なく、学問の入り口というのは私たちの身近にある自然界の動きに対して疑問を持つことが大切であり、その疑問に対して問い続けることによってすべての発明や発見はなされているのです。

6年生の皆さんは受験を前に不安の毎日でしょうが、この不安もみなさんの意識に関係なく、確実に歳月は流れてゆくのです。肝心なことは今日という1日を精一杯みんなで努力することが肝心です。明日は必ずやってきます、皆さんが心豊かに明日を迎えることができるように、私たち教師は、皆さんを見つめています。辛くなったり苦しくなったら先生のところを訪ねましょう。一緒に頑張っている仲間を見つめましょう。きっとまた勇気が湧いてくると思います。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                   (11月29日 合同朝礼)

国家の繁栄とは

生徒の皆さん、おはようございます。昨日あたりから急に冷え込みが厳しくなりました。それに伴って風邪をひく人もたくさん出てくるのではないかと心配しています。何よりも健康であることが大切です。薄着をして風邪をひかないように、心がけてください。ところで、以前、ギリシアという地中海に君臨したことのある国家が大変な状況にあるという話をいたしましたが、最近、また、イタリアが同じような状況に追い込まれそうだ、更に、スペインも、といった評価がマスメデイアを通して伝わってきました。いずれの国もかつて、世界に誇る繁栄を築いた国ばかりです。

イタリアは、ローマ世界帝国として1000年の繁栄を見た国であり、更にスペインは太陽の沈むことのない領土を保有した国、現在の南米、北米のほとんどを植民地とする巨大な帝国でした。これらの国が今、国を維持することが困難なほどの債務国になってしまっている。何故、このような評価を下されているのか。これらの国に比べてはるかに国家の借金が多額な日本がなぜ同じ評価にならないのか。ぜひ考えていただきたいと思うのです。国家の盛衰について見つめてみますと、これらの国と同じようにかつて巨大な国であったものが今日衰退している国家を見てみますと、エジプト、インド、パキスタン、アラビア諸国、中国等は皆、ここ百年の間に、他国に侵略されたり、植民地になったりして、近代社会に乗り遅れた国ばかりです。中国が今大いなる発展を遂げようとしていますが、ほんの少し前まで国内に海外の植民地、例えば香港、マカオなどを抱えていたのです。

なぜ、かつて世界に誇る繁栄を見た国々が現代のようになったのか、そして、国家の繁栄とはどのようなことを言うのかを考えてみる必要があるのです。これらの国々を見ていて思うことは、いかに大いなる繁栄を誇っていても、その繁栄はわずかの期間に過ぎずいつかは衰退してしまうということです。まさに仏教でいう諸行無常を国家の盛衰の中に見ることができると思うのです。

ところで、先週世界の中でどちらかというと貧しいといわれている小さな国、ブータンから若き国王夫妻が東日本の震災にあわれた人々を励ますことを主たる目的としてご訪問され、心からのお悔みと励ましのメッセージをいただき、多くの日本人が心を温かくすることができたのではなかろうかと思うのです。彼が発した日本人に対する言葉は、私たちが物の豊かさの中で失っていた精神の豊かさや、家族愛の大切さを呼び覚ますものでした。改めて、西欧的な豊かさと東洋の豊かさを見つめさせていただく中で、今後、私たちはどのような価値観を持って生きるべきか、また、いかに学ぶべきかを教えられたような気がしてなりません。ブータンという国は決して豊かではないのですが、国民の95%が自分たちのことを幸福であると感じている。では私たちはどうなのか。生活が便利になり、あふれるばかりの物に恵まれているのですが、そのことに感謝できなくなっている私たち。何を持って豊かな国とするのか、豊かな国民とするのか、ここで改めて考える必要がありそうです。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                  (11月22日 合同朝礼)

山本権兵衛から学ぶ

生徒の皆さん、おはようございます。先週、『坂の上の雲』をぜひ読んでほしいと皆さんに紹介をいたしましたが、本日はその中に出てくる山本権兵衛について、お話をしてみたいと思います。今日のお話をしようと思ったのは、彼の晩年、第2回目の内閣総理大臣就任の時代と、現在の日本の状況が大変よく似ており、これからの日本がいかにあるべきかを考えるとき、大変参考になると考えたからです。

坂の上の雲の中で、彼は明治という時代にわずか20年間で0から海軍を創設し、その海軍を世界の5番目の位置にまで高め、更に日清・日露の両戦役を勝利に導いた人物として描かれています。その彼が戦役の後、心血を注いで実践したことがあります。それは明治という政府、行政の洗い直しです。まず彼が総理になって断行したことは、最近の内閣総理大臣のだれもが、公約に掲げてなしえていない公務員の定員削減、議員の定数削減です。この官吏の定数削減の数は5300人に及び、莫大な人件費削減を実現しています。この内閣は大正2年末、突然ドイツのシーメンス社にかかわる海軍の汚職事件が発覚し、全く無関係であった彼も辞職に追い込まれています。その後しばらくして、大正12年、再び、山本権兵衛が組閣を命じられ、9月1日、芝の水交社で組閣をしている真最中に大きな地震が起こります。この日、何が起きたのか、日本史を学んだ人は皆よく知っている通り、関東大震災が起きたのです。その後、東京は火の海になりますが、翌2日の夜、赤坂離宮で親任式を行っています。彼の為すべき仕事は急遽、震災復興ということになりました。このまさに天から降ってきた災難に対して、盟友である後藤新平を復興院総裁とし、画期的な都市計画を立て、困難な復興計画を推進します。現在の東京の基本形はこの時に基づくものであり、山本権兵衛がいなければ現在の東京はないということです。

震災後4ヶ月、復興のさなか大正12年12月27日、第48回帝国議会開院式の日、式に向かう摂政官のお召車が狙撃される事件が突発し、このために翌13年1月7に総辞職をしました。このわずかの間に、未曽有の大災害関東大震災の復興計画を立ててそれを実行に移し、見事に東京再生の基礎を築いています。2度にわたる総辞職は2度とも誠に不運な事件で総辞職に追い込まれましたが、その短命な期間でさえ他の内閣総理大臣が誰もなしえなかった成果をあげていることを考えるとき、彼がいかに物事の本質を問い、長い将来を見据えて、日本人として国際社会の中でいかにあるべきかを考え、周りの人材に深く配慮したうえで、わが身を捨てて確実に実行した人物であるかということが伺えるでしょう。

さて、生徒の皆さん、今日女性が様々な局面で国是にかかわる地位にあり、そのイニシアティブを取るようになりました。このような時代であるからこそ、自己の利益のみを考えるのではなく、広い視野に立って、物事を考え行動する人間でなければならないと思うのです。今日の女性の社会的地位の向上は日本の歴史からみると革命に等しいものです。このことを正しく認識して、将来に夢を抱いていただきたいと思います。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                     (11月15日 合同朝礼)

読書の秋、長編に挑戦しよう

生徒の皆さん、おはようございます。秋の夜長を皆さんはどのように過ごしているのでしょうか。6年生の皆さんは、受験生として最終コーナーに差し掛かり、一心不乱になって学習に専念していることと拝察します。もちろん、受験生でない4年生、5年生の皆さんも、午後8時から12時過ぎくらいまでは皆、自分の机に向かい、学習に励んでいることと思います。ところで、秋といえば読書。皆、どのような本を読んでいるのでしょうか。現在は、便利な機器が発売されており、本をめくって活字を追うのではなく、パソコンや、携帯で読んでいる人もいることでしょう。そのような人も含めて、すべての生徒の皆さんに、ぜひ挑戦してほしいことがあります。それは、この秋の夜長を長編小説あるいは随筆などをじっくりと読む機会を持っていただきたいということです。世界文学全集でも、日本文学全集でも、歴史の本、何でもいいですから一枚一枚ページをめくってじっくり読む時間を持ちたいものです。

私的なことで恐縮ですが、私が初めて長編小説に挑んだのは、中学2年のちょうど今時のことです。世界文学全集が父の部屋にあり、その中の1冊、コナンドイル著のシャーロックホームズの冒険という1冊を取り出して読んでいたら、日ごろはそばに行くだけで怖かった父が、何かしら優しい目で、何を読んでいるのかと声をかけてきました。日頃はまともに父と話などしたこともなかったので、緊張しながらこの本は面白いというと、次の日、その本が読み終わったらこれを読んでみるといい、と言って手渡してくれた本があるのです。それは、パールバックの『大地』という本でした。その本の分厚さに圧倒されそうになりましたが、怖い父親が初めて優しいまなざしで私に本を紹介してくれたこともあって、何とか読んで見ようと思い、机に向かいました。読み始めてしばらくすると、もはやその内容のスケールの大きさに圧倒され、時間のたつのを忘れ、夜は布団の中に入って読みふけり、気が付くといつの間にか眠っているという具合であったように思います。その後、デイケンズの『二都物語』等、高校の時代、並行して日本文学全集を読み漁っていました。私の片目だけがひどく近視になったのは、その時布団に入って少し首を傾げて読む習慣からではないかと思っています。ともあれ、一冊の長編小説『大地』は自分の思考の基本のようなものを作ってくれた気がします。それほどその本は大きな影響を私に残しました。

ところで、この十二月になりますと、司馬遼太郎著の大長編である『坂の上の雲』の最終章がテレビで報道されます。その長編をテレビではなくせめて単行本で皆さんに読み切っていただきたいなと思い、私から紹介させていただきます。この本は明治の日本人の純粋さ、本来の日本人のあるべき姿など、いろんなことを教えてくれる本であると思っています。日本人が置き忘れた本来の日本人の生き方、人間としての誇りのようなものをよみがえらせてくれる本だと思うのです。テレビ番組が始まる前に、是非『坂の上の雲』八巻を読んでみたらいかがでしょうか。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                 (11月8日 合同朝礼)