2011年12月17日土曜日

山本権兵衛から学ぶ

生徒の皆さん、おはようございます。先週、『坂の上の雲』をぜひ読んでほしいと皆さんに紹介をいたしましたが、本日はその中に出てくる山本権兵衛について、お話をしてみたいと思います。今日のお話をしようと思ったのは、彼の晩年、第2回目の内閣総理大臣就任の時代と、現在の日本の状況が大変よく似ており、これからの日本がいかにあるべきかを考えるとき、大変参考になると考えたからです。

坂の上の雲の中で、彼は明治という時代にわずか20年間で0から海軍を創設し、その海軍を世界の5番目の位置にまで高め、更に日清・日露の両戦役を勝利に導いた人物として描かれています。その彼が戦役の後、心血を注いで実践したことがあります。それは明治という政府、行政の洗い直しです。まず彼が総理になって断行したことは、最近の内閣総理大臣のだれもが、公約に掲げてなしえていない公務員の定員削減、議員の定数削減です。この官吏の定数削減の数は5300人に及び、莫大な人件費削減を実現しています。この内閣は大正2年末、突然ドイツのシーメンス社にかかわる海軍の汚職事件が発覚し、全く無関係であった彼も辞職に追い込まれています。その後しばらくして、大正12年、再び、山本権兵衛が組閣を命じられ、9月1日、芝の水交社で組閣をしている真最中に大きな地震が起こります。この日、何が起きたのか、日本史を学んだ人は皆よく知っている通り、関東大震災が起きたのです。その後、東京は火の海になりますが、翌2日の夜、赤坂離宮で親任式を行っています。彼の為すべき仕事は急遽、震災復興ということになりました。このまさに天から降ってきた災難に対して、盟友である後藤新平を復興院総裁とし、画期的な都市計画を立て、困難な復興計画を推進します。現在の東京の基本形はこの時に基づくものであり、山本権兵衛がいなければ現在の東京はないということです。

震災後4ヶ月、復興のさなか大正12年12月27日、第48回帝国議会開院式の日、式に向かう摂政官のお召車が狙撃される事件が突発し、このために翌13年1月7に総辞職をしました。このわずかの間に、未曽有の大災害関東大震災の復興計画を立ててそれを実行に移し、見事に東京再生の基礎を築いています。2度にわたる総辞職は2度とも誠に不運な事件で総辞職に追い込まれましたが、その短命な期間でさえ他の内閣総理大臣が誰もなしえなかった成果をあげていることを考えるとき、彼がいかに物事の本質を問い、長い将来を見据えて、日本人として国際社会の中でいかにあるべきかを考え、周りの人材に深く配慮したうえで、わが身を捨てて確実に実行した人物であるかということが伺えるでしょう。

さて、生徒の皆さん、今日女性が様々な局面で国是にかかわる地位にあり、そのイニシアティブを取るようになりました。このような時代であるからこそ、自己の利益のみを考えるのではなく、広い視野に立って、物事を考え行動する人間でなければならないと思うのです。今日の女性の社会的地位の向上は日本の歴史からみると革命に等しいものです。このことを正しく認識して、将来に夢を抱いていただきたいと思います。さて、本日の話はこれで終わりです。本日も私の話に耳を傾けていただき、感謝します。どうも有り難う。
                     (11月15日 合同朝礼)