尽日春を尋ねて 春を見ず
尽日尋春不見春 杖藜踏破幾重雲 帰来試把梅梢看 春在枝頭已十分
尽日春を尋ねて 春を見ず 芒鞋(ボウアイ=敗れた草鞋)もて踏遍す 幾重の雲
適(タマタマ)梅花の下を過ぐれば 春は枝頭に在りて 已(スデ)に十分
(「探春」 戴益 宋代の詩人)
生徒の皆さんおはようございます。1年前でしたか、中国の古老が今年は春を迎えられないかもしれないと思って、せめて春を見て死にたいと考え、山に入り春を求めたが結局春を見つけることができず、家に帰ってふと庭に目をやるとそこに、沢山の蕾を付けた梅の木を見てああここに春があったと喜び、その年を生き抜いたという話をいたしましたが、その原典は先ほど文頭で紹介したものです。中国陝西・甘粛省に住む年老いた戴益は、春を求めてひねもす歩いたが、どこにも春は見当たらなかった。破れ草鞋で隴山(中国陝西・甘粛省にまたがる山)の雲まで踏み分け入ってみたが無駄だった。庵に帰って、たまたま梅の木の下を通ったが、なんとその梅の枝に春が見事に拓いていた。
さて、皆さん、今年は寒椿、そして梅の花が同時に咲いて、その花が枯れ始めると桜の蕾が膨らみ一気に満開となりました。八分咲きから満開にかけて二度も雨が降り、更に強い風が吹いて、あっという間に葉桜になり、石畳にたくさんの花びらが舞い、その花びらを生徒の皆さんが毎朝、お掃除をして綺麗に片付けているうちに、もう皐月の花が咲き始めました。例年、高校の玄関付近にある真っ白な皐月の花がどの皐月の花よりも早く咲き始め、満開になるとその周りの赤やピンクの皐月が咲き始めます。その職員室の前に今年も生徒会の諸君を中心に接ぎ木をされた被爆桜の苗が根を下ろし始めたようです。植物たちの命の声が最も聞かれる春の日に、津田塾大学の山本先生からメールが入りました。昨年送っていただいた被爆桜が今年花を咲かせました。昨年は大変寒く被爆桜の木の上にも雪が積もり、根を下ろしているのかとても心配をしましたが力強く花を咲かせてくれました。朝日新聞が取材に来てくれましたのでその新聞と一緒にメールを送りますとあり、新聞の紙面には本学の被爆桜の子どもが花を咲かせている写真と、昨年入学した本校卒業生のコメントが掲載されていました。植物は、人間のいかなる利害や思惑を乗り越えて、ただ淡々と命の活動を私たちに見せてくれます。福島を始め、3・11の被災地は今ようやく桜の花が咲き始め、これからもっとも過ごしやすい季節を迎えるとのこと。この植物の変わることのない命の営みに比べ、私たち人間の活動の何とちっぽけなものか。命の営みの本質とは何か、命の営みは如何にあらねばならないか、改めて、植物の営みと対比して考えてみたいものです。
さて、本日の話はこれで終わりです。本日も静かに私の話に耳を傾けていただき感謝します。どうも有り難う。
(合同朝礼 4月24日)