最近、黄砂の被害がひどく、洗濯物を干すのに困るとか、せっかく車を洗ったのにすぐに汚れてしまうという話をよく耳にします。私もその被害者の一人で、最近車の色をめずらしく黒に近い色にしたものですから、これまであまり気付かなかった黄砂がやたらと鬱陶しく感じるようになりました。はるか西の中国黄土高原から偏西風によって日本海を越えて日本全土を覆うこの黄色の砂の霞はかつて俳句や短歌に読まれ、春の訪れを喜ぶ歌として日本人の心をとらえてきました。
たとえば、昨年の『坂の上の雲』に登場した正岡子規はこの時期の霞について『行く人の霞になりてしまいけり』と読み、また小林一茶は『故郷や我を見るなりうすがすみ』。短歌では、和泉式部は『春霞たつやおそきと山川の岩間をくくる音きこゆなり』また、紫式部は『誰が里の春のたよりにうぐひすの霞にとづる宿を訪ふらん』古今和歌集には『春霞たなびく山の桜花うつろはむとやいろかわりゆく』そして、紀貫之は『春霞なに隠すらむ桜花散る間をだにも見るべきものを』などなど読んで春の訪れを喜び、またその中でよき人たちと出会うことを喜ぶという、嬉しい訪れとして日本人は受け止めてきたようです。確かに近年はこの黄砂が飛ぶ内陸部から東北部に工場地帯が乱立し、そこから排出される有害物質と一緒になって、黄砂は有害なものであるというイメージとなりました。特に日本を含む東アジアの国々では黄砂による被害が顕著になってきているとされており、一部の観測データもこれを裏付けている。これに加えて、環境問題への関心が高まっていることなどもあり、黄砂に対する社会的な関心も高まっています。一方、黄砂が自然環境の中で重要な役割を果たしてきたことも指摘されています。飛来する黄砂は洪水による氾濫堆積物や火砕物と並ぶ堆積物の1種であり、土地を肥やす効果があります。また黄砂には生物の生育に必要なミネラル分も含まれており、陸域だけではなく海域でもプランクトンの生育などに寄与しています。人間がかかわることなく自然の流れの中にあれば、かつての歌人や俳人が読んだロマンチックな春霞であったものが、人間がかかわると何故だか、危険なものに変身してしまう。
ところで、黄砂は私たちの目に見えるものですが、この度の福島原発事故で排出されている放射性物質セシウム137・ヨウ素131・キセノン133等は、私たちの目に見えないもので、しかもそれらに一度汚染されるとどのような悪影響が、どのくらいの年月で残るか判定できないという未だ人類の科学では解明できないものであり、私たちはこの有害物質に対して如何に対峙すべきなのかを考えてみなければなりません。この目に見えない放射性物質について考えるヒントをこの春霞と呼ばれる黄砂が私たちに与えてくれていると思うのです。春霞は偏西風に乗って私たちの街にやってきます。だから福島原発だったらきっと偏西風に乗って太平洋の彼方にというわけには行けないほど、この放射性物質は長期間にわたって地球を汚染するのだということを忘れてはいけません。かつて私たちの祖母や祖父の多くがこの汚染によって苦しめられ、今でも苦しい思いを抱えて生きておられます。決してあの原発事故は福島の原発事故ではないのです。私たち日本人の、そして私たち広島県の事故であるということを忘れないで、見つめていきたいものです。さて本日の話はこれて終わりです。本日も静かに耳を傾けたいただき感謝します。どうも有り難う。
(合同朝礼 5月8日)